軍歌余談

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国敗れて山河あり・・・





このイラストを持って、「軍歌余談」の最終記事となります。
今後はイラストのリンク画像をより見やすくするため、順次拡大して掲載していく予定です。(順不同)
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くずれた神洲の不滅


イラスト=東京湾上の米国戦艦ミズーリ号の甲板において降伏文書調印式は行われた。

昭和二十年八月十五日の天皇の玉音放送によって戦争が終ったものと一般には思われているが、実際にはこの日は日本帝国が降伏の意思を表示した日にすぎず正式には九月二日なのである。

この日、日本軍は天皇陛下と政府と大本営の名において米国をはじめ連合各国に対して無条件降伏を誓ったのである。

そしてこの日の主役であるマッカーサー元帥は三日前、厚木に乗りこんできたもので、搭乗機バターン号からサングラスをかけ、コーン・パイプを口にくわえてはしごを悠然と降りてくる姿は当時の印象としてなかなかの演出家だと思ったと当時の報道員たちは語っている。そしてマッカーサー元帥は調印式の最後の演説で「日本の孤立のとばりをひらき、世界の通商を導き、啓蒙と進歩の新しい時代をもたらすのがペリー提督の使命であったが、西洋科学によって獲得した知識は、圧制と奴隷化の具に供せられた」と過去の日本の指導者達を責めたがそれ以外日本を誹謗(ひぼう)する言葉はどこにも見出されなかった。....



太平洋の若鷲たち

■ 昭和十九年。優勢な米軍はサイパンを抜いてフィリピンの再上陸を狙う。
そしてその年の十月十日にはその機動部隊は沖縄を空襲した。
死にもの狂いのわが軍は零戦に二五〇キロ爆弾を抱かせ敵艦めがけて体当りの戦法をとった。 世にいう神風特別攻撃隊である。

十七才から二十三才の若者ばかり、二五七一機が出撃している。
第一航空艦隊司令部長官の大西滝治郎中将がこの特攻隊の生みの親である。

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ベルリンの攻防戦

1944年6月、連合軍は北フランスに上陸。首都ミンスクで10万のドイツ軍を包囲、ドイツ軍は6万の捕虜を出して大敗した。

イラスト:ベルリンに肉迫する連合国の各国軍



▲イラストは1945年のヤルタ会談の三巨頭
左から、
★チャーチル★ルーズベルト★スターリン
連合軍が総力を結集してナチスドイツの牙城ベルリンに接迫した1945年の5月は、まさに第2次世界大戦のクライマックスであった。

1943年2月ナチスドイツ軍はスターリングラードでソ連侵攻以来恥辱的最大の大敗北を受けてしまった。ヒットラーはこの屈辱をそそぐべくクルクス突出部のソ連軍を南北から分断しようとしたがその意図はすでにソ連軍に察知されていた。
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▲イラスト:自殺したヒットラー総統



第二次世界大戦の勃発

蘆溝橋(ろこうきょう)事件の銃声一発に端を発した日本と中国の泥沼戦争はやがて欧州戦局への便乗主義者等によって日本・ドイツ・イタリーの三国同盟を結成させ、そのまま対英米戦争に突入した。
蘆溝橋事件の実相―平和主義から軍国主義へ)....


日華事変のヒーロー

■ 日本の宿命的な大陸への進出は、満州事変からやがて上海事変、そして日華事変へとその輪をひろげていった。
 芦溝橋一発の銃声は主脳部の不拡大方針にもかかわらず戦局は次第に泥沼化するに至ったのである。そして大陸に転戦する陸海軍から肉弾三勇士が現われ西住戦車長、南郷少佐らの勇士が続々と散華したのである。
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まかり通る問答無用(226事件)

■ 「昭和維新」の運動と呼ばれる一連の事件のなかで昭和11年2月26日のいわゆる2・26事件はその最大のピークであった。
この事件はすでに数十年を経たいまでも真相不明の点が多いとされており、最近はこの事件に関する軍法会議関係書類も発見され逐年解明されてゆくであろうが、とにかくこの大事件なるものは当時の国民を震駭せしめ帝都東京を暗黒の恐怖におとしいれた事件でもあった。同時に日本ファシズム化への起爆力が秘められていた。....


爆弾三勇士

■昭和7年1月29日上海海軍陸戦隊が閘北で第19路軍と戦火を交えたため、久留米第12師団の一部は直ちに混成第24旅団に編成され2月2日動員令がくだり2月日久留米を出発、2月7日には上海に着くというあわただしい出動であった。
これに続いて上海に上陸したのが金沢の第9師団で、2月18日には日本軍の諸部隊は戦闘配備を完了。植田謙吉軍司令官名で中国台19路軍蔡廷楷司令に対して最後通牒を発したのである。....


虎ノ門難波大助事件

■大正一二年一二月二七日、帝国議会開院式に行幸途上の当時摂政の宮であった今上天皇が虎の門にさしかかった際、突然摂政宮の車をめがけてステッキ銃を発射した暴漢がいた。
犯人はその場ですぐつかまったのである。そして幸いにも暴漢の銃弾は車の窓ガラスに丸い穴をあけただけで大事には至らなかった。....


せめて淡雪とけぬ間と

カチューシャのうた
   
<大正7〜8年頃>
相馬御風・島村抱月合作詞
中山晋平  作曲

(1)  カチューシャかわいや、
   わかれのつらさ、
   せめて淡雪とけぬ間と、
   神にねがいを、かけましょか。

(2)  カチューシャかわいや、
   わかれのつらさ、
   今宵ひと夜に、ふる雪の、
   明日は野山の道かくせ

(3)  カチューシャかわいや、
   わかれのつらさ、
   せめてまたあふそれまでは、
   同じ姿でいてたもれ。

(4)  カチューシャかわいや、
   わかれのつらさ、
   つらいわかれの涙のひまに、
   風は野を吹く、日は暮れる。

(5)  カチューシャかわいや、
   わかれのつらさ、
   ひろい野原をとぼとぼと、
   ひとり出てゆく明日の旅。....